はじめまして、佐々木美保です。

働く女性のスキル&キャリアUP, 未分類

1976年、北海道小樽市に生まれた私は、物心ついた頃から「教育者になる!」と強い決意を固めていました。

モデルは金八先生。生徒のより良い人生のために、熱い情熱と愛情を注ぐ姿に、子供ながらに心が震えて涙が止まらなかったあの時の気持ちを、今でもはっきりと覚えています。

学校は私にとって格好の研究場所。毎日先生たちを観察し、勉強の教え方、子供のしかり方、クラスで事件が起きたときの対処法などについて、「それはおかしい!」「私だったらこうするなぁ」などと考えを巡らせ母親に報告する、今思えば変わった子供でした。

そんな私は、進路に一度も迷うことなく北海道大学教育学部に進学します。目指したのは英語教師でした。たまたま通っていた塾の講師に影響を受け、英語が話せることや異文化交流、海外での生活などに憧れを持ったためです。

 海外生活に憧れ留学した20代半ば

当時、教員採用試験はそう簡単に合格するものではありませんでした。倍率は数十倍~百倍で、私自身も例に漏れず、採用試験を目指しながら臨時教員として現場に立つ日々を過ごしました。現場では、生徒との交流に大きなやりがいを感じながらも、自由のない閉鎖的な世界に馴染めない自分がいました。

そんな私は24歳の時、長年の憧れでもあった海外留学に踏み切ります。行き先はオーストラリア。4年間、自由で充実した留学生活を満喫し、世界中から集まった友人との交流から多くを学びながら2つの修士号を取得しました。

ここでの経験は、人は皆違った常識や価値観を持っている、自分の常識が当てはまらないからと言って相手が悪いわけではないという基本的な考えを作る、最初のきっかけとなりました。

 目的を見失い人生のどん底を味わったアラサー時代

4年間ですっかり西洋の個人主義、自由主義にかぶれ、勘違いと自信を胸に意気揚々と帰国した28歳の私は、もう田舎には帰りたくない、都会で活躍したいと、憧れの東京での生活をスタートさせます。

この時、もっとたくさんの経験を積みたいという思いから一旦教育を離れるのですが、これが人生のどん底を味わうきっかけとなりました。

営業、秘書、総務の仕事などを経験しましたが、どれもやりがいや生きがいを感じられず、生きていても何も楽しいことなんてない、自分なんて何の役にも立たないダメ人間だと、それまで自信過剰で生きてきた自分には考えられないような極端にネガティブな思いを抱くようにまでなっていました。当然、健康状態も最悪です。

 教育の世界に戻り、少しずつ生きがいを取り戻した30代前半

これではいけないと当時勤めていた会社を辞め、一度自分の原点である教育の世界に戻ろうと転職したのが、私が最後に勤めた教育会社です。

教育について考えることや教育プログラムを作ることは、私の大好きなこと、そして得意なことです。精神的にかなり落ち込んでいた私は少しずつ自分を取り戻していきます。どんどん力を発揮して評価され、派遣社員として雇われてから4年後には課長にまで昇進していました。

自分らしく生きるということは新しいものを探して旅に出るのではなく、自分の原点に戻ること。そのことを身を持って知ることとなった大きな経験でした。

 中間管理職として実績を上げつつも多くの敵と戦った30代半ば

中間管理職になった私は、仕事時間の多くをマネジメントに充て、部下の指導・育成やチーム作りに力を注ぎます。人を教育することは私が大好きで得意なことですから、やはりここでも結果を出し、評価されることになりました。

しかし、目立つ私を良く思わない同僚もいます。当時の私は残念ながら売られた喧嘩は買うタイプでしたから、社内に敵も多く、業務の多忙さに加えて、人間関係でも常にストレスを抱え、土日は寝たきり健康状態も最悪という、典型的な仕事人間となっていました。

こんなことを一生続けてはいけない、しかも私、本当は会社員に向いていないという思いをずっと抱きながらも、どうすることもできない日々でした。

唯一の自分の時間はお昼休み。毎日本屋さんに行っては、仕事術、リーダー論、自己啓発と名の付く本を片っ端に読んでいました。この時に学んだことも、今の自分を作るベースになっています。

 退職→起業という人生最大のチャレンジをした37~38歳

そんな折、社内の大幅な組織変更があり、私にとって不本意な異動を強いられたことで突然今まで張りつめていた糸がプツンと切れましたもういいや、これ以上頑張らなくても、とすんなり思えるタイミングが来ました。心が決まった私は、先のことは何も考えず、会社を辞めてしまいました

これから私はどうやって生きていったら良いのか、本気で自分と向き合い答えを出したのは退職から半年以上経った頃でした。

どんなに突き詰めてみても、私がやりたいことは人生教育しかありません。幼い頃から抱き続けた思いは今もまだフツフツと静かに燃えているのでした。元々会社員に向いていなかった私はそれを自分でやるしかないという結論に至るのですが、独立起業について知識も経験も人脈もゼロだった私が今日からたった一人で始められる仕事として見つけたのが相談業です。相談業は一対一の人生教育だと思ったからです。

相談業について寝ても覚めても考えていたある朝、突然「タロットだよ!」というアイディアが頭に浮かびました。というか上から降ってきました。

タロットを学び、コーチングの認定を受け、独立開業を果たしたのは38歳の時です。

 試行錯誤によりビジネスを軌道に乗せたアラフォー時代(現在)

開業と同時にビジネス交流会に入会し、自分の力では1円も稼いだことが無いという状態から、一歩ずつ、本当に少しずつ前に進んでいきました。早く会社員時代と同等の収入を得たいという焦りもありましたが、階段を100段飛ばしすることは不可能で、やはり一歩ずつ進むしかありませんでした。今思えば、それが強固な基盤を作ったのだと思います。

私は開業以来一切コーチやコンサルをつけることはせず、起業塾やビジネススクールにも通いませんでした。私にとっての最高の相談相手はいつもタロットと自分自身の心で、それはいつでも誰よりも的確な答えを出してくれました。

着実に進んだ結果、3年目の2017年には東京タロットコーチングスクールと人生塾Bloomを同時に開校させることができました。

実はどちらも目的は同じで、「人はいかに生きるべきか」を追求するものです。どの人も、それぞれが魂レベルで望んでいる人生を実現し、他者と良い関係を築きながら、生きがいと幸福を感じて生きられるようになるための学びの場です。

私の使命は「宇宙とつながって生きることを一人でも多くの方にお伝えすること」なのですが、今は毎日「今日も使命に生きているな、私」と実感しながら、自分史上最高に幸せな日々を送っています。

もちろん、お金もちゃんと後からついてきていますよ!

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